STAY HOME
まず初めに…現在、医療現場で力を尽くしてくださっている方、インフラ・ライフラインに関わるお仕事をしてくださっている方に心から感謝の気持ちをお伝えしたく思います。
4月7日に政府が発令した緊急事態宣言を受け、軽井沢町でも、町長より不要不急の外出は避けるようメッセージがありました。
私も日用品の調達以外はずっと家にこもって、執筆をしたり、愛犬りぼんちゃんとずっと一緒にべったりで過ごしています。
そのためコラムに書けるような新しいネタがないので…この状況が落ち着くまでは、私自身の話を語らせていただこうと思います。
軽井沢移住のきっかけ
早いもので、軽井沢に移住して3月で丸5年が経ちました。
軽井沢に移住したと話すと、最初に尋ねられるのが「どうして軽井沢?」という質問です。もともと軽井沢に縁があったの?と聞かれることが多いですが、実はまったくありません。
私の実家は奈良県橿原市というところで、飛鳥と呼ばれる場所です。
実家は最寄りのコンビニでも歩くと30分かかるようなところで、おしゃれなカフェやレストランもない、軽井沢よりもずっと田舎です。電車の本数もかなり少なくて、ホームで20分以上待つなんてこともよくありました。
そんな環境で育ったので、もともと田舎暮らしに対する素養はあったかもしれませんね(笑)
大人になった今は地元・飛鳥の良さもわかるし、ロマンも感じるのですが、10代の私にはその魅力がまったくわからず…当時は「こんな田舎で一生を終えるなんて絶対に嫌」だと思っていて(笑)、あえて関西の大学は一つも受けなかったんです。
地元の公立高校を卒業したあと、大学入学とともに18歳で上京して、それから15年間を東京で過ごしました。
もともと新しい環境に飛び込むことに抵抗はなく、東京での生活にもすぐに慣れました。高校から同じ大学に進学した人が誰もおらず、完全に友達0人でスタートしたわけですが、大学でも社会人になってからも幸い友人にも恵まれ15年にわたる東京生活は本当に充実していました。
なので、東京に疲れたとか嫌になったとか田舎に引っ込みたいというような気持ちで移住したわけではないんです。
というのも、私は軽井沢に移住してからも今年の1月まで「東京カレンダーWEB」という東京のグルメ情報メディアで記事を書いておりました。
軽井沢にいながら東京の最新グルメやライフスタイルを取り入れた記事を書いていたわけですが、それができたのは、移住後もおおよそ週1回のペースで東京に行っていたからです。※3月頭からは一度も行っていません。
東京の友人たちと会う頻度もまったく変わっていません。軽井沢に移住したことで、生活の場が変わったというよりむしろ活動範囲が広がったように感じています。
ではなぜ、わざわざ住む場所に軽井沢を選んだのか?というと…最大の理由は景観の美しさでした。
住環境って、人の身体にも心にも大きな影響を与えると思うんです。
広々とゆったりした場所で過ごせば心にも余裕が出る。逆に狭く忙しない場所に身を置いていると、心だってどうしても余裕を失ってしまうもの。
15年の東京生活は刺激的で得るものがたくさんありましたが、しかしどこかで心がすり減っているような感覚があったのも事実でした。
そんなとき、もう7年以上前のことですが、移住や引越しなんてまったく考えてもいない時に、夫と軽井沢までドライブをしに来ました。
実は私も夫も、軽井沢を訪れるのはこの時が初だったんです。けれどその時に見た別荘地の景色が、私にとっては非常に衝撃的で。
日本にこんな場所があったんだ、ここは私が夢に描いていた場所だ!と大げさでなく心が震えました。
ただ自然があるというだけではない、絵に描いたような、映画のワンシーンのような、情緒を感じる美しさがそこにありました。
ただ、私自身は当時すでにフリーランスでしたが夫には通勤があります。
それ以外にも様々な課題があって、移住が叶うまでには2年近くかかりました。
軽井沢には縁もゆかりもなく、知り合いもいません。土地を探そうにも土地勘がなく、実際の暮らしの様子もわからない。
そんな中で移住を実現するのにどんなことを調べ、どういう行動をしたかについて…….この続きは次回コラムに書かせていただきますね。